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一家が夜逃げをすることになったのだ。僕が二十四歳のときである。今から思えば、これがすべての始まりだった。この夜逃げがなかったら、僕は今、大衆居酒屋「楽八」チェーンのオーナーなどなっていなかっただろう。
おやじは十坪ほどの小さな小売店を営んでいた。
〜(中略)〜
<< 料理の基本を教えてくれた極道店長 >>
僕に料理の基本を教えてくれたのは、ある店で修行中にであった極道店長だった。
その店は十三にある割烹料理店。店長は全身に入れ墨のある人だった。
仕事はきつかった。
〜(中略)〜
早く一人前になる事で頭が一杯だった。そしてその極道店長のそばに張り付いて教えを乞おうと思っていた。

 
〜(中略)〜
<< 人生の大恩人となったおばあちゃん >>

僕の人生において、大恩人となったおばあちゃんがいる。
24歳の時、夜逃げしたときには仏壇を預かってもらうために、仏壇を持って奈良のそのおばあちゃんを尋ねた。
〜(中略)〜
日本昔話にでてきそうなおばあちゃんで、門前には十段ほどの小さな石段があるのだが、当時僕はその石段を登る気力すら残っていないようなときだった。
そんな時、「死んだらあかん。生きるんや。なんとしてでも生きなあかんで、あんたには必ず運が開けていくからな」といい続けてくれていた。この励ましの言葉のおかげで、自殺を思いとどまった。大げさではなく、まさに僕の命の恩人なのである。
〜(中略)〜
このおばあちゃんも90歳を越える歳になった。
そんなおばあちゃんに、僕の家と店をどうしても見てもらいたくてこれまで何度も何度も誘ってきた。しかしおばあちゃんは「歳だから」という事で、その機会をこれまで逃してきた。
そんなおばあちゃんが、今年いきなり、僕の家に来る事ができた。

「死んでもいいから、アナタの家とあんたが建てたお墓が見たい」

そう言って、僕の家に来る事が実現できた。
おばあちゃんは「嬉しい。嬉しい。」と涙を流して何度も言ってくれた。
この「嬉しい」のひと事が、僕にとって何より何よりも嬉しかった。


 
〜(中略)〜
僕は楽八の信条というか、ポリシーみたいなものを自分なりに考えてみた。
1・親孝行できたら、楽しい
2・120パーセント生きられたら、楽しい
3・少しでも社会に貢献できたら、楽しい
4・大きな夢を持ってその夢を実現したら、楽しい
5・子供の気持ちを持ち続けたら、楽しい
6・人が喜んでくれたら、楽しい
7・お金は少しあったら、楽しい
8・生かされて生きていることが、楽しい

〜(中略)〜
これを人に押し付ける気はないが、少なくとも楽八の従業員には、この考え方を布教師になったつもりで普及させていこうと思う。

「楽しい教」である。

そして、夢を失いがちな現代の若者達にも、この僕の思いを伝えたい。


 
もっと詳しく読みたい方は・・・
「夢見て走れ!」 \1,300
北森大貴著
MBC21大阪南支局・ゆめいろ出版